どんぐりと民主主義(3)

どんぐりと民主主義—都道3・2・8号線問題から考える

動物と植物と民主主義と〈前半〉

中沢:最初に、今日のタイトルを、「カワセミと民主主義」としたんですね。玉川上水だからきっとカワセミがいるだろうと。そうしたら主催者の方から、カワセミはそんなにいないという話が来て(笑)、では仕方ないな、と[後から聞いた話ですと、カワセミはもちろんいて、玉川上水の法面に巣を作って子育てしているそうです]。

そこで、主催団体の一つが「どんぐりの会」ということでしたので、「どんぐりと民主主義」という宮澤賢治みたいな世界の雰囲気のタイトルになったんです。でもよく考えてみると、どんぐりと民主主義というのはけっこう本質を突いていて、カワセミよりもいいんです。

民主主義っていうのはなにかっていうと、いろんな利害を調停するということだと思うんですね。世の中には、利害というのは二種類しかなくて、共同利害と特殊利害の二つです。特殊利害っていうのは、特殊な集団や人たちや業界が、自分たちの利害のために必要とすること。共同利害っていうのは、それをもっと超えた、大きい視点で見た時の公共性のある利害のことですね。

ある人たちの特殊な利害と共同の利害は対立することがある。だからこれをいかに調停していくかが問題になるわけですが、実は特殊利害っていうのはいっぱいあるんです。たとえば今、ぼくらは人間のことばかり考えているけれども、さっきの映像を見ていると、動物がいっぱい出てきた。動物の利害っていうのもあるんです。

実は、民主主義に参画できないのは、大衆だけではない、動物も参加できないんですね。だけど、動物たちは生きている。その貴重な空間の中で生きているわけで、実は、カワセミの利害とか、セミの利害とか、いっぱいあるわけです。犬の散歩している人の利害とか、犬の利害なんかもあるわけなんですね。犬の散歩は、基本的に犬にとっては、おしっこのポイントですから、それが確保されるというのは、犬の重要な利害なんです。これは冗談みたいな話ですけれど。

ところが、現代の世界がどういうふうにできているかっていうと、特殊利害をあたかも共同利害のように見せかけることが横行するわけですね。すると、必要もないところに道路をつくるっていうことが、いったい誰の利害になっているかを考えねばならないということになります。そして実はそこにはいくつもの意味があります。

一つは、ケインズが考えたみたいに、雇用を増やすために道路をつくるということ。公共事業をやれば雇用が増えるだろう、そうすると共同利害になっていくだろうと。これは経済学者のケインズが、雇用を増やすために考えたことです。

しかし、大切なのは例えば道路なら、それをどこに通すのかということです。どこでも作ればいいんじゃないかというと、それはおかしい。その道路はどこかを通る。どこか通るとき、利害に関わる住民がいる、植物がいる、動物がいる、自然がある。更に、その植物、動物、自然といっしょになって生きている人間たちの具体的な生活がある。また、そこに実際にこの道路建設をやる人たちの利害が重なってきますね。道路建設をやる人たちにとっては、自分たちの特殊利害というものがある。

今の政治がどういうふうにできているかというと、特殊利害をもった人がいっぱいいて、これが政治家にロビー活動をする。政治家は自分の選挙母体が必要ですから、特殊利害を持った政治母体をいっぱい抱えていて、この人たちの要求を聞く。この人たちの要求は「特殊」なんです。

たとえば、原発をいっぱいつくらなきゃいけないっていうのは、別に僕らの利害でもなんでもなかった。ところが、それを推進しようとした特殊利害があって、それがあたかも日本国民全体の共同利害であるかのように、思い込ませるわけです。

いろんなやり方があります。ここのところの報道を見ているとわかりますように、マスコミは、ものすごく世論の誘導をしてますね。たとえば世論調査の結果なんかは各新聞ごとに違うじゃないですか。公平にやったらそんなことありっこないのに、全然違う。あれは世論を誘導しているわけです。

もう一つは、行政。日本人の心理をうまく利用しているわけですね。つまり、お上(行政)が決めたことは、決まったんだからしょうがないという心理を助長している。これは町内会の会長さんなんかに責任があるかもしれないけど、要するに、下からの圧力によって上からの共同利害を押し通していくということが行われている。

今の民主主義は──というか、民主主義はもともとギリシャ時代からそういうものなんですけれど──特殊な利害を共同利害とすり替えて、それを押し通していくためにいろんなやり方を使う。世論誘導から始まって、果ては暴力までいく。中国とか、エジプトなんかでやっているのは暴力です。

こういう運動なんかも、ひょっとすると暴力が出てちゃうのではないかという気持ちがあって、そうなると、市民が嫌がりますでしょう。暴力はやめましょうと。そうするとはじめる前からひっこんじゃう。これも一種の見えない圧力です。これが実は今の民主主義なんですよ。

でも、本当は違う民主主義があるはずなんですね。いろんな利害を調整する民主主義です。そのためには意見を聞かなくちゃいけない。その人たちがどういう考えを持っているかを聞くことをしなくちゃいけない。そして、それを調停する、ネゴシエーションするっていう形で進めていく、と。民主主義っていうのは、やはりそうやって進行すべきものだと思うんです。

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