どんぐりと民主主義 PART2(6)

住民投票の目的

國分―― ただ、この運動を応援していて思ったんですが、自治の癖をつけるといっても、そのためのルートが制限されているという問題があるんです。つまり、住民が自治の癖をつけるための制度がぜんぜん整っていない。

僕が研究しているジル・ドゥルーズはデイヴィッド・ヒュームの哲学を拡張するかたちでこんなことを言っています。〈法〉は行為を禁止するが、〈制度〉は行動のためのモデルである、そして社会は〈制度〉の組み合わせによって成り立っている、と。〈制度〉が多ければ多いほど社会は民主的になる、ともドゥルーズは言いました。

いまの日本には自治のための制度が少なすぎると思う。いろんな制度をつくるということはいろんなルートを確保するということであり、行動のためのモデルが増えるということです。それをもっともっと用意しないといけない。

住民投票というのは、そんな数少ない自治のための制度のひとつです。しかしこれはとても十分に活用されているとは言えない。住民がせっかく署名を集めて直接請求しても、議会がそれを否決するというケースがあとを絶ちません。

2010年10月の総務省の調査によると、それまでに条例に基づいて市町村で行なわれた住民投票は400件あるそうですが、そのほとんどが「平成の大合併」の時期に合併の賛否や枠組みを問うたもので、合併以外のテーマで行なわれた住民投票はわずか22件だそうです。

合併に関する住民投票というのは首長提案で提出されるから可決されやすい。それに対し、住民が署名による直接請求というかたちで個別の政策課題を問う住民投票条例案を提出しても、ほとんどの場合は議会で否決されてしまう。直接請求による条例の成立率は二割未満だそうです。自治のための制度がほとんど整備されていないというのに、現にある数少ない制度は議会によって活用を阻まれているという現実があります。

原発都民投票に関わった宮台さんに、是非この住民投票についてのお考えをお伺いしたいと思います

宮台―― 先ごろのアメリカ大統領選挙では、同時に各州で170を超える住民投票(レファレンダム)が行なわれ、さまざまな重要な決定について住民の意思表明がなされました。同性婚や銃規制に関するものもありました。日本では大統領選挙について報じられますが、レファレンダムが行なわれている事実はあまり報じられません。

DSC_1456_2アメリカでは大統領制と住民投票が表裏一体です。日本では、住民投票というと「ポピュリズムだ」と批判されるんですね。住民投票は世論調査に過ぎないという考えなんです。政治学的には40年くらい時代遅れな話です。実は、逆に、ポピュリズムに抗うために、住民投票が行なわれるんです。

法学者のキャス・サンスティーンと政治学者のジェイムズ・フィシュキンという、ふたりのアメリカの学者が理由を説明しています。グローバル化を背景に、先進国は例外なく格差化と貧困化による中間層の分解に直面し、共同体が空洞化しつつあって、人びとは不安と鬱屈感にさいなまれがちです。

その結果、「やっちまえ!」と噴き上がって溜飲を下げたい連中――僕の言葉で言えば〈溜飲厨〉――と、「おおよく言った!」と承認してもらえそうなことを言ってポジションを獲得したがる〈承認厨〉が増えるんです。「厨」というのは2ch用語で、アホという意味ですね。

だから、とりわけ完全情報から遠い状態にあると、みんなで話し合う民主的な合議の結果、かえって極端な結論が得られてしまう。サンスティーンは「集団的極端化」と呼び、これが「熟議がこわれる」という状態だと言います。まったく同じ問題が代議制民主主義をポピュリズムに堕落させます。

では、住民投票が何のためにあるか。第一は、完全情報化のためです。住民投票に先だってなされる公開討論会やワークショップを通じて、完全情報化する――①徹底的に情報公開させ、②専門家たちの対立的見解を住民が聞いて質疑し、③最後は専門家と役人を排除して住民が決める。

それぞれの項目は、①東電やエネ庁による情報非公開のデタラメ、②専門家を人選した段階でシナリオが確定する審議会のデタラメ、③多数派による数合わせに過ぎない議会投票のデタラメに、対処するためのものです。これは、医療におけるインフォームドコンセントとセカンドオピニオンの組み合わせに似ています。

10年ほど前までは主治医が手術すると言ったら手術するしかなかったんですが、いまはかならずセカンドオピニオンをとってきてくださいと言われます。これは法律の決まりです。素人であるみなさんが、いろんな専門の人から話を聞き、いろいろなことを考えて、自分と家族と友達だけで決めるんです。これと同じです。

住民投票の存在理由がもうひとつあります。ワークショップや公開討論会の参加権です。高校生にこれを与えれば――諸外国では中学生に与えるケースもあります――何よりも有効な公民教育になるだけでなく、「どうせ年寄りは」「どうせ移民あがりは」といった偏見から、グループワーク経験を通じて自由になれるんですね。

つまり住民投票は、〈参加〉による〈フィクションの繭〉破りと、〈包摂〉による〈共同体の空洞化〉克服が目的です。このふたつを通じて、地域は自治ユニットとしての力を回復できます。単なる「自分の頭で考えるべき」といった「べき論」じゃなく、一定の仕組みに基づくグループワークを通じた〈心の習慣〉の涵養です。

中沢―― 宮台さんがいまおっしゃったことで小平市の反応を見ていますと、どういう方向へ舵を切ったらいいかわからなくて、たいへんに不安になっているのが見えてきます。公共事業をどのように新しい型に脱皮させていったらいいかわからないので、不安なのです。

公共事業のばらまきじゃないかという批判は、いま自民党がいちばん恐れている批判です。行政も同じです。この不安に揺れている時期に運動を進めていく側は、どういう戦略をとっていけばいいんでしょうか?

(撮影:加藤嘉六)

どんぐりと民主主義 PART2(7)へ