どんぐりと民主主義—都道3・2・8号線問題から考える(2)

昨年12月8日に開催した中沢新一さんと國分功一郎さんのシンポジウム「どんぐりと民主主義──都道3・2・8号線問題から考える」の内容を毎日連載でご紹介します。

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行政に関われない「民主主義」

國分:ありがとうございます。今、大変重要なご指摘をいただいたと思います。今後、東京都は道路事業を強力に推し進めていくだろう、そしてもしかしたら、小平の3・2・8号線はモデルケースにされてしまうかもしれないということです。

さて、最初に「小平市都市計画道路に住民の意思を反映させる会」の水口さんから、建設予定地周辺の自然環境のことをお話しいただきました。後で話したいと思いますが、今日の会は「どんぐりと民主主義」というちょっとしゃれたタイトルにしています。そこで僕からは、今の中沢さんのお話を受け、まず民主主義についてお話しさせていただきたいと思います。

國分氏1

僕がこの道路計画を知ったのは、4年ぐらい前です。僕は2007年の末に小平市に引っ越してきたんですけれども、実は、ちょうどこの道路が通る予定の雑木林の真ん前にある都営住宅に住んでいたんです。で、僕が親しんでいる雑木林の真ん中を大きな道路が通ると聞いて、大変驚いた。

そうしたら、そのちょっと後に、中央体育館(市民総合体育館)で、都の説明会があったんですね。僕はそれに娘と二人で行ったんですけれども、一時間ぐらい、ものすごく金かけてつくったビデオを見せられた。もう何百万かかっているんだろうっていうビデオですよ。で、その後30分間、ありきたりな質問コーナーがあって、それで終わりなんですよ。

僕はものすごい脱力感に襲われました。僕らって「民主主義、民主主義」とか言っているけど、東京都が決めましたって言ったら、なんにもできないんだなって強烈に実感した。ものすごい虚脱感に襲われました。

僕は、一応哲学を勉強している人間ですけれども、この問題を哲学が考えなかったら嘘だと思ったんです。だからその後、ずっとこの問題を考えてきました。そして、いろいろ民主主義の理論なんかを勉強し直しながら一つ分かったことがあります。

僕らは「民主主義」と言っていますけれども、僕らにできることって、数年に一回、非常に不完全な形で、部分的に、立法権に関われるだけですね。つまり、代議士を選ぶ選挙に参画させてもらっているだけです。もちろん、行政の長を選ぶ市長選挙などもありますが、僕らが関われるのはほとんど立法権だけです。

では、なぜたまに立法権にしか関われないくせに、「民主主義」などと称することができるのかと言うと、立法権によって物事を決めて、つまり、国会とか市議会などの議会で物事を決めて、それを役所あるいは官僚や省庁などの行政権が執行するというのが建前になっているからです。物事を決めるのは立法権であり、それに民衆が関われるから民主主義なんだということになっているわけです。

でも、実際にはこの建前はまったくの嘘です。立法府で何かを決めて、行政府がただ執行するというのは事実に反している。現実は逆です。物事を決めるのは行政府なんです。行政府が議員に頼んで、そのための法律を通してもらっている。現実はこの建前と正反対なんです。

教科書には確かに立法府で決めて、それをただ執行する機関が行政府であると書いてありますよ。でも現実はまったく逆で、実際に物事を動かしているのは行政府、つまり市役所であり、官庁です。そのために議会が法律や条例を通してくれる。

別の言い方をすれば、立法府は統治していないということです。統治しているのは行政府であり、そしておそろしいことに、僕らは、この実際に統治している行政府に対して、まったくアクセスする権利を持っていないのです。

市役所が決めたことに対して何がいえるでしょうか? 何も言えませんよ。確かにほんの少しだけ制度はあります。例えば行政が何かやるときにはパブリック・コメントというのを集めなければならないことになっている。僕は保育園の問題に割と関わっているんですけども、市が保育園の民営化を決めた時にも、パブリック・コメントが集められました。でも、九〇%以上が民営化反対でも、そんなコメントは何の力も持ちません。パブリック・コメントには全く拘束力がないからです。

つまり、こういうことです。今回、都道3・2・8号線建設問題を通じてぼくが感じたこの問題点っていうのは、ある意味で近代の民主主義そのものの問題点なのです。

実際には行政府が動かしている、つまり、都庁が動かしていて、「民主主義、民主主義」とか言われているけれど、そこが決めたことをストップさせようとすると僕らは何もできない。「説明会」をされて終わり。

本当にこれで民主主義なのかってことなんです。僕が最近ずっといろんなところで言っているのは、行政府に対して、行政府の決定に対して、さまざまなルートで住民がオフィシャルに関われる、そういう可能性を確保していかなきゃいけないっていうことです。たとえば、諮問委員会をつくる時、そこに住民をたくさん入れる。あるいはパブリック・コメントにきちんと拘束力を持たせる。あるいは住民投票をきちんと行って住民の意見を聞く。

さて、もしかしたら、今僕が述べていることは、哲学とか勉強してる、頭でっかちの人が理論的に言っていることに過ぎないと思われるかもしれません。でも実は、僕が今言った民主主義の問題点、つまり、実際に行政の決定に住民がまったく関われないという問題点は、国も認識しているんです。

昨年2011年2月に、総務省が地方自治法の改正案をまとめていました。それはどういう改正案かというと、住民投票に拘束力を持たせるというものだったんですね。今、住民投票っていうのは、市長の解雇か議会の解散にしか拘束力がありません。ところが、それだけじゃなくて、大型公共施設の建設に関して、住民投票に拘束力を持たせるという案を総務省がまとめていたらしいんです。全然報道されていないんで、僕も今年になるまで知らなかったんですけれども。

たまには総務省もいいこと言うなと思ったら、なんとこれを、どこが反対してつぶしたと思いますか? これをつぶしたのは全国知事会などの地方6団体、つまり、知事たちがつぶしたんですよ。そんなことをやったら議会制民主主義の根幹が揺らぐっていうっていう理由なんだそうです。まあ見事な理由ですね。

住民投票をキチンと行って、行政に対して住民が意見を言えるようになっていったら、まさしく民主主義ですよね。だけど、その民主主義は立法府に人を送り込んでそこで全部決めるという議会制民主主義とは異なる民主主義です。つまり、議会制民主主義というものが、いかに反民主主義的であるかということです。この総務省がまとめていた案を、知事たちが「議会制民主主義」の名の下に潰したというのはそのすごくいい例だと思います。国ですら、現状では住民が行政の決定に対して何も言えなさすぎると思っていたというのに、知事たちがそれを潰す。なんということでしょう。

まとめですけれど、今回3・2・8号線のことで住民投票を求める運動があり、それを僕は応援しています。これは3・2・8号線そのものに関わるし、先ほど中沢さんが仰ったように、これからの都政の問題にも関わっている。
 でもそれだけじゃない。僕みたいな哲学やってる人間からすると、この運動はこの欠陥だらけの民主主義をきちんとしたものにしていくための一歩でもあるんです。ある一地域の問題かもしれない。でも地域の問題一つ一つを何とかしていこうという小さな努力の積み上げなくして、全体の民主主義なんて変わりません。

3・2・8号線問題は、行政に僕らが全く関われないっていう根本的な問題をきちんと変えていく。そのための大きなうねりの出発点になるんじゃないか。もちろん僕はあの道路の近くに住んでいるし、ちょうど道路が通るあたりでよくタバコを吸って博士論文について考えていたなんてこともあって(笑)、あんないいところを潰されちゃたまらんという気持ちが最初にありました。けれど、それだけじゃなくて、民主主義をどうするかに関わってくる重大な問題じゃないかなと思っています。だから、住民投票をなんとしても実現させていきたい。

偉そうな言い方で申し訳ないんですが、この住民投票の案でとっても偉いなと思ったのは、選択肢の作り方なんです。住民投票案では、「住民投票により(3・2・8号線)計画案を見直すべき」か、「見直しは必要ない」かを問うことになっています。つまり、道路に反対か賛成か、ではないんです。僕はこの案を聞いて感動しました。

反対運動をやっている側としては、もちろん反対するっていうのを入れたいわけです。でも、大切なのは住民の意見を聞くことである。だからそこに留まろう、と。僕はそこに会の人たちが留まったことはすごく立派なことだと思います。本当に立派なことだと思います。

だから、ぜひ、これは実現させていきたい。先ほど述べたように、国ですら「住民投票ぐらいさせないとまずいだろう」と思っているご時世である。しかも、理論的にもいまの民主主義には問題がある。ならば、もうこれはやらざるをえないでしょう。これが僕の今日の最初の意見です。

(写真・加藤嘉六)

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